

スイコウスクエアの事歴



暁鐘寮を模したクローバーダイニング入口
医療の地 学びの地として
学びの地として
スイコウスクエアと水戸一中を合わせた約8万6千平米の敷地に、旧制水戸高等学校は大正9年(1920年)9月に開校しました。
校舎や講堂に加え7棟の寄宿舎が並び、全国から多くの学生を集め、政財界官界に多くの人材を輩出しました。作家の船橋聖一(小説『花の生涯』で知られる)や俳人・金子兜太なども出身者です。
旧制水戸高等学校は、明治5年(1872年)に廃校となった旧水戸藩校・弘道館の伝統も引き継ぎましたが、昭和20年(1945年)の水戸空襲により校舎は焼失し、戦災を受けて昭和25年(1950年)3月に廃校となりました。
あかつきホール
水高寄宿舎「暁鐘寮」は戦災時に避難所として地域に開放されました。その跡を継いだ地域交流ホール「あかつきホール」や「暁鐘寮」の名称は、第九代水戸藩主・徳川斉昭の和歌
「物学ぶ 人の為にと さやかにも 暁告る 金のこゑかな」
に由来すると伝えられています。
医療の地として
この地には昭和40年(1965年)から平成16年(2004年)まで、約40年にわたり旧国立水戸病院がありました。現在は茨城町桜の郷に移転し、国立病院機構水戸医療センターと改称されています。
しかし、地域の人々の記憶の中では、いまも「国立病院跡地」として語られることが多く、この場所は「医療の地」として継承されています。
このまちの歴史を継承し、まちの未来を、ここからつくります。

私たちについて
医療、福祉、介護、教育、健康など多機能を持つほか、
地域交流の活性化につながる場を担うために誕生した、
北水会グループが運営する複合エリア『スイコウスクエア』。
東京ドーム一つ分の広さを持つエリアに、
病院、福祉施設、救護施設、医療専門学校、保育園、
レストラン、フィットネスクラブ、コンビニエンスストアなどが立ち並んでいます。
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